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(犬を含め誰の犠牲の上に立つことなく)
目の見えない人、目の見えにくい人が、
行きたい時に、行きたい場所へ行くことができるように、
私たちは、安全で快適な盲導犬との歩行を提供します。
この使命を達成するために我々職員は協会の活動を支援して下さる人や企業、団体と共に盲導犬を育成し、視覚に障害があるために歩行に困難を感じておられる方々に歩行指導を行っている。
カッコで括った「犬を含め誰の犠牲の上にも立つことなく」の「誰」とは具体的に誰なのであろうか?本企画ではそれを紐解きながら、日本盲導犬協会が目指す盲導犬育成事業についてシリーズでお伝えしていきたい。
まず犬自身であるが、日本の盲導犬事業の歴史の中でお利口な犬が目の見えない人のためにその身を賭して仕えるという構図が事業者自身やマスメディアによって広められてきた。犬を擬人化し、あたかも犬が自分の主人である盲導犬使用者の見えないための困難を知って身を賭して支えるという構図が基礎になっていたように思う。
私は犬が行動を起こす要因として“快”には近づき“不快”からは逃げようとする行動がベースにあると考える。犬と暮らしたことのある人なら理解できると思うが、犬の行動は人が擬人化して考えているだけで犬自身は犬として当たり前の行動をとろうとしているだけである。学習は経験により獲得するが、それは人間にとって都合の良い事も悪いことも含まれる。
私の考え方に立つと、犬は自分に嫌なことはしないし人間の様に将来を見通して「今はつらいが将来のために頑張ろう」と考えることは出来ない。その逆に楽しいことは人に不都合であっても、テーブルの足をかじる、気になると吠え続けるなどという行動として自ら進んで行う。このとき犬は決して「父さん、母さんが怒るだろうな」とは考えないで今の自らの利益を追い求める。
おもちゃで遊ぶ子犬が1頭
犬を擬人化して遊ぶゲームを楽しむ前に、多和田が考える犬とは?を以下に記す。
つらく厳しい訓練に耐えてついに立派な盲導犬が出来るという考え方には根拠がなく、むしろその方法は犬に虐待に近い訓練と称するいじめを加えているのではないだろうか。
私自身42年前に犬のことは何も知らず(点字を打っていて視覚障害者の友人もいたので視覚障害者の歩行の困難については知っていた)この仕事に就いた時、先輩に言われたのは「犬になめられるな」であった。伝統的な犬の訓練は軍用犬、警察犬の流れで、盲導犬も完璧な服従を犬に求めていた。その為に犬にはきつくあたり人間に対して恐怖の条件を付けることを求められた。盲導犬使用者になる視覚障害者は正しく訓練された犬を信じて、犬がわき見や教えられた作業をしないなどの悪い行動をした場合は即チョークと呼ばれる紐を強く引き犬の首に不快のショックを与えることを行い、自分が悪いことをしたことを認識させるというものであった。
モノクロ写真。昭和50年代の訓練風景。2頭のシェパードが街中を歩く様子
現在の私の訓練理論からは言えば、これは視覚障害者が使うには矛盾だらけの犬の都合も考えない間違ったやり方であった。しかし残念なことに現在でも訓練士の感情の上に訓練をする人がまだいると言われる。そのように訓練された盲導犬に、期待した歩行の理想が得られないとなると、多くの盲導犬使用者は現在の犬の引退後に次の犬を持とうとはしなかった。私が提供した盲導犬の歩行は、訓練士目線の“犬を訓練し盲導犬を作ること”であって、盲導犬使用者が“(見えていた時のように)犬の目を使って歩く使える盲導犬”ではなかったのである。しかも犬が訓練士の教えたとおりに動かない理由も、“犬が人の言う事を聞かない4つの理由”など思いもしないでひたすら犬が人をなめてその行動をとらないのだと考えていた。
ですから当然問題の解決法も犬に服従を求めるもので、正しい行動をとらない事を叱って人の言う事を聞かなければならない事を教え直すというものであった。これでは直るはずもなく、使用者の盲導犬への期待を次につなげることもなかった事は当然である。この訓練方法は犬の適性を考えない的外れのものであった。現在では私の訓練理論に賛同する訓練士たちは、犬の適性を考えてその犬が盲導犬として働く10歳になるまでの間、無理強いされることなく、盲導犬を使う視覚障害者に寄り添いその歩行を手伝う喜びと誇りを持って生きることを目指している。その結果、盲導犬に適性を持つ犬たちは選ばれた繁殖の中からでも4割から5割に留まると考える。
*次回は、多和田訓練士が提唱する「犬」の教育についてお伝えします。ご期待ください!
モノクロ写真。昭和50年代の訓練犬。シェパードが4頭座っている