協会が歩んだ歴史:公益財団法人日本盲導犬協会公式ホームページ

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公益財団法人日本盲導犬協会

協会が歩んだ歴史

波乱、流転の発足30年

何ごとも、前例のない分野に踏み出すには高い志が欠かせません。日本盲導犬協会が1967年8月10日、厚生省(当時)から財団法人の認可を受けた際の設立趣意書は、その理念をこう記しました。「本格的に盲導犬の開発育成と、盲導犬訓練士の養成を行ない、日本人に適した盲導犬による『盲人の社会復帰』を唯一の事業目的として、日本で初めてその緒についたものであります」。

今日ではほとんど使われない「盲人」という言葉ですが、往時は広く用いられていたと思われ、視覚障がい者が社会参加する際の困難をうかがわせます。趣意書はそうした壁に風穴を開けようという意欲が込められていました。

中核事業の盲導犬育成は、協会設立に加わった理事の一人の私有地(東京・練馬)を現場にして始まり、年度末の1968年3月には8頭を世に送り出しました。次年度から5頭、25頭と順調に滑り出したかに見えましたが、1970年9月、この理事が突然に離脱し、協会は大切な訓練施設を失う事態に陥りました。

この窮地に手を差し伸べてくれたのが、長年にわたり盲導犬開発事業に心血を注いできた篤志家の一族でした。その方から自宅マンションの提供を受け、かろうじて危機を切り抜けた協会は1974年2月、東京郊外の地に小金井訓練所の開設へとこぎつけました。その頃、協会に入った職員は「多磨墓地の横の芝畑にプレハブの訓練所があった」と回想しています。

時代は全国の盲導犬が150頭になり、国鉄(現JR)や都バスなどで同伴乗車が認められるようになり、盲導犬をめぐる社会状況に変化の兆しが芽生えてきていました。そして、1978年にはついに盲導犬が法的に認知されたのです。「道路交通法」が改正され、14条で「目が見えない者(目が見えない者に準ずる者を含む)は、道路を通行するときは、政令で定めるつえを携え、又は政令で定める盲導犬を連れていなければならない」とされたのです。

盲導犬をめぐる環境が変わりつつあったのですが、協会は小金井訓練所の借地権の問題があって、またしても大きな困難にぶつかりました。そうした疼(うずき)の中で1988年12月には訓練所の神奈川県茅ケ崎市への移転決断を余儀なくされました。

茅ヶ崎訓練所。かやぶきにブリキを覆った屋根の古い農家を借りた施設だったが、庭先は格好の訓練場所だった

ここで盲導犬歩行のための共同訓練を受けたユーザーは「古い農家を借りた訓練所で、部屋に入りベッドに寝転ぶと、天井板がなく、むき出しの柱や梁(はり)が見えました。猫が梁の上を歩いて、そのほこりが落ちてくるような建物でしたが、かえって新鮮で温かな趣がありました。訓練士さんが交代制で食事を作ってくれるなど家庭的な雰囲気もありました」と懐かしげに振り返ります。

ただ、茅ヶ崎訓練所は犬舎数も多くなく、建物の老朽化により共同訓練も不自由になってきました。

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